大阪同友会 会員の声

月刊誌「OSAKA 中小企業家」に2018年5月から掲載している『会員の声』は、個々の会員が抱える経営課題にどのように向き合っているかを取材し、会社を発展させてきた輝く会員企業を紹介します。

第6回 青年部会

会員の声

~ よい会社をめざす『 事業承継 』~
伝統のちょうちんを守り、美しい灯を絶やさない

青年部会所属(有)秋村泰平堂 代表取締役 秋村 敬三(大阪南東ブロック・天王寺支部)

会員の声

~ よい会社をめざす『 事業承継 』~
伝統のちょうちんを守り、美しい灯を絶やさない

青年部会所属(有)秋村泰平堂 代表取締役 秋村 敬三(大阪南東ブロック・天王寺支部)

夏祭りには欠かせないアイテムであるちょうちん。その由来は室町時代に中国からもたらされるところまで遡ります。その後、日本独自の様式を築き、広まっていきます。このちょうちんを、約100年にわたり作り続けてきた(有)秋村泰平堂、4代目の秋村敬三氏を今回の特集では紹介します。

大阪同友会 会員の声

ちょうちんのいま

秋村泰平堂は、ちょうちん職人でもあった秋村さんの曾祖父が生玉神社参道にてちょうちん卸の商店を構えたことに始まります。大正10年(1921年)の創業以来、親子4代にわたってちょうちん作りに携わっています。秋村さん自身は、次男であることもあり、大学卒業後は印刷機械会社にてサラリーマンの道を選びました。しかし母親から自社のことを聞いていると、兄が父の後を継がなかったこともあり、もし自分が継いでみたいと思ったときに、自社はなくなっているのではと思うようになりました。その思いが次第に強いものとなり、26歳でサラリーマンを辞し、自社で父と一緒に働いていく決心をしました。

大阪同友会 会員の声

大阪同友会 会員の声

ところが、自社に戻って感じたのが、父の考えのある種の固さでした。歴史があるものの、時代の移り変わりもあり、市場が縮小しているのは事実です。秋村さんの父は、どちらかといえば自社から動くことを避けて、自社が業界の最後の1社になったとしても、それはそれで構わないという考えでした。しかし、現実に祭りなどのハレの場でちょうちんの活躍が減っていると感じていた秋村さんは、今のちょうちんを取り巻く状況を放置すると他の商品に置き換わるばかりで次第にちょうちんがなくなっていくと考えました。そのために自分が何をできるのかと考え、自らが動くためには自らが社長になるしかないと思い、自社の父からの事業承継に取り組むことを決意します。

事業承継と同友会

母親や顧問税理士の協力も得て、代替わりで代表となった秋村さんでしたが、実際に動いて何をするのかに迷いもありました。加えて、同年代の友人に経営者がそう多くいるわけでもなく、立場の違いから生じる目線の差にモヤモヤ感をもっていました。そんな中、ご近所で会社経営をする会員に誘われ、同友会に参加するようになります。そこで知ったのが、世間の社長が実は格好良くないということ。同友会の行事で飛び交う、経営者の生の声を聞き、先輩たちの苦労を知り随分と救われたと秋村さんは言います。そんな中で秋村さんは、41歳以下の会員を対象とした大阪同友会の会内組織である青年部会の活動に関わるようになります。その青年部会の活動で、他府県の若手経営者と交流するようになり、同じ若手経営者が引っ張って業績を伸ばしている会社の凄い成長を間近で見ることで、自分なりの経営者としての目標が見えてきたのです。また、青年部会の活動を続ける中で、部門のトップである部長・幹事長を引き受けるのですが、それが更に自分の成長につながったと秋村さんは自分の活動を振り返って2つのポイントに絞り詳しく話してくれました。1つは、青年部会の卒業制度です。部員資格の41歳までに例外はありません。そのため、実際に部長を務める中で直面したのは、続けるために必要なことを常に考え、それを計画的に承継するということでした。疑似体験として、事業承継を学べました。もう1つは、部内で幹事を引き受け活躍する中で、誰もが納得しついてくる活動を心がけることを運営に対してのリーダーシップとして身につけたことです。組織運営をする中での問題点を「人」に対して責めるのではなく「仕組み」に対して責めることで、常に改めて前に進む発想をPDCAの一部として身につけました。

秋村さんの企業づくり

大阪同友会 会員の声

大阪同友会 会員の声

さて、秋村さんは自社の事業承継をすすめる中でこのような同友会で学んだことをどのように反映させていったのでしょうか?実際に秋村さんが自社で取り組んだことを紹介したいと思います。1つは、社長として自社で「自ら動く」ようにしたことです。まさしく、父との関わりで違和感があった部分です。なぜ自らが「動く」のかというと、最初の一歩では先が見えないからです。自らが動いて自社の可能性を広げることが、仕事につながる第1歩だと秋村さんは考えます。実際に祭り以外の場でちょうちんを世に知らしめ、使ってもらう場を、さまざまな出会いを利用して広げています。ちょうちんの新たな居場所を積極的に模索し、若い社員にもちょうちんの新たな魅力や良さを見せるように努めています。もう1つの取り組みは、組織を見守ることで社員の成長を促し、さまざまな可能性を広げることです。先ほどのいろいろと自らが「動く」というのは、もちろんいろいろなことを社員に任せるということが前提です。秋村さんは、社員が成長して判断力がつくと、聞いてくることのレベルが上がるといいます。高齢化に悩む自社組織の中で、そのようなアプローチで次代を担う社員を育てています。

経営者としてのこれからへの思い

大阪同友会 会員の声

最後に、2008年1月に代表取締役に就任した秋村さんに事業承継に必要なものは何かを聞いてみました。自分もそうだったが、経営者としての結果の重さを受け止め悩む姿を、時には空元気も交えて自らの背中で後継者に見せることだと言いました。秋村さんから、ちょうちんを通して自社が世に必要とされていることを後継者や社員に伝え、自社だけでなく業界を含めた世代交代につなげることで、これからの新たなちょうちん文化を築いていこうという強い覚悟を感じることができました。
(取材:荒田、藤本、文:大西、写真:田村)


Profile

企業名:(有)秋村泰平堂
所在地:大阪市中央区上汐
創  業:1921年(大正10年)
年  商:1億600万円(2017年12月期)
従業員数:12名(うちパート7名)
業務内容:各種ちょうちん・付属品一式・製造販売・総合卸問屋

第5回 経営本部

会員の声

~ よい会社をめざす『経営指針』~
指針があるからここまでこられた

長田会計事務所 所長 長田 雅子(大阪中央ブロック・西支部)

会員の声

~ よい会社をめざす『経営指針』~
女指針があるからここまでこられた

長田会計事務所 所長 長田 雅子(大阪中央ブロック・西支部)

士業事務所や、個人事務所が多く点在する中央区徳井町。経営委員会にも参加し実践を続ける長田会計事務所所長の長田さんに指針経営についてのお話をうかがいまし た。

祖父の背中に憧れて

長田会計事務所は、税理士の祖父が1970年に創業しました。長田さんも子どものころから祖父に連れられ、祖父が事務所にて仕事をする姿を見たり、仕事の真似事をさせてもらったりしていたことで「祖父のような税理士になりたい」と憧れ、税理士をめざすようになったそうです。そして、2つの会計事務所に計10年間勤務したのち、長田会 計事務所に入所し、平成17年10月に所長として事業を引き継ぎました。当時は、経営者としての自覚もなく、祖父から引き継いだお客様の対応と、新規集客のために場当たり的に異業種交流会に参加する程度で有り余る時間を過ごしていました。そんな時、同友会に出会い入会しました。しばらくは例会に参加し学びをえるも、どうしても日常業務優先で実践には結びつかない状況でした。

経営者としての自覚

同友会の先輩から経営指針成文化セミナーに誘われても「事務所の運営はできているし、自分にはまだ必要ない」とお断りしていました。そんな時、ある社員から「この事務所の向かっていく先がわからない」と言われ、専門職であっても、企業規模が小さくても自分は経営者なのだと気づかされました。ただ憧れだった税理士としての仕事をしているだけで、経営者としての自覚もなかったことを深く反省し、平成21年2月に理念コースを受講し経営理念を成文化しました。2年のブランクののちに、ビジョン/方針コースを受講し指針書を作成することができたのですが、当時の指針は自分の方向性を示しただけで、社員を巻き込んだ指針ではなかったので、社員に思いを語り、伝えることもできず浸透しませんでした。

インターンシップ生の採用へ

方向性を示したことで、逆に方向性の違いが明確になってしまい、きっかけを作ってくれた社員が会計事務所の繁忙期直前の平成27年11月に退社することになりました。戦力である経験者が退社するのはすごく大変な時期で、急遽社員の募集をしましたが全く応募がなく、働きたいと思ってもらえる事務所ではないのだと感じたそうです。そんな時、同友会仲間の紹介でインターンシップ制度のことを知り、面接や採用・教育のことなど手探りのまますすめることにしました。当時は会計事務所のインターンシップ生募集がなかったようで、たくさんの応募をいただき5名を採用。このことをきっかけに、未経験でもきちんと教育をすればすごく成長することに気づきました。求人先の視野も広がり、社員は縁故採用の者しかいませんでしたが、縁故以外の社員採用をすることもできるようになりました。

成文化から実践へ

大阪同友会 会員の声

社員やインターンシップ生とコミュニケーションを図る中で、指針書も言葉を作っただけでは、会社は変わらないし、自分自身も経営者の覚悟が行動として表れていないことに気づきました。社員を信じて任せ、巻き込むことで、役割分担ができ、経営者としてすべきことができるようになってきました。社員がどのように考え、仕事をしていくかも反映するために、経営理念も社員たちとともに考え改訂しています。そして、その理念を実現するためにはどういう行動をすればいいのかについて、具体的なルールブックのような行動基準も一緒に作り、毎月の月初めミーティングで、実際に行動したこと、何を思ってそうしたのかを振り返るようにしています。また「第一次ワクワク大作戦」と題し、10年後のめざすべき方向を社員それぞれに伝え、皆で共有しています。

大阪同友会 会員の声

生き生きと働くために

指針書には「縁いっぱいのみなさんに来てもらえるよう な事務所にしたい」「社員が生き生きと働いている事務所 にしたい」というような理想像を掲げています。過去に勤 めていた事務所を含め、以前は生き生きという言葉とはか け離れた状態でしたが、徐々にギスギスせずに自分からす すんで物事を考え発言し、進んでいけるような環境ができ てきました。現在は社内を活性化するために「ただ課題を 解決するだけでは楽しくない」という社員からの発案で、 社員が部長になって広報部(社内新聞)、アクティ部(社 内交流)、レッツまな部(勉強会/社外研修)、快適部 (社内環境の整備/おもてなし)といった社内部を設けて います。課題も自由な発想で楽しく改善していくことで、 コミュニケーションも円滑になり、自然と業務にも前向き ないい循環ができているそうです。

一番に相談してもらえる事務所をめざして

AIの発達で会計業務はなくなるといわれています。昨年アメリカの会計事務所に視察に行ったことで「単純業務はなくなるかもしれないが、人がやることはなくならない。これからは人にしかできない提案業務への切り替えが必要だ」と感じたそうです。お客さんとお話をしていると「相談してくれたらよかったのに!」と思うことが多々あるそうです。社員とも自分たちがこれから向かう先を考える「未来ミーティング」を開催し「そうだ、長田会計事務所に相談してみよう」をキャッチフレーズに、しっかりと悩みを聞けてサポートできる、一番に相談してもらえる会計事務所をめざしています。そのきっかけにもなればと、社内/外に向けた「法人税の仕組み」や「決算書の読み方」などの会計に必要な知識や、リーダーシップやコミュニケーション能力を高めるような“仕事力・人間力をアップする”「未来そうぞう塾」という勉強会を開催しています。

長田会計事務所の未来

同友会には、ああいうふうになりたいというめざすべき目標となる企業があり、同じ経営者の立場にたち本音で悩みを相談しあえる仲間がいます。会社訪問をしたり、自社が抱える課題をぶつけたりすることでヒントを得ることができました。また、指針書を作ることで、目の前のことだけでなく未来のために行動できるようになりました。「なりたい姿を掲げていなければ、事務所を移転することもなかったでしょうし、今のような社風にはなっていなかった。これからも共に歩んでいきたい社員やお客さんのためにも、未来を見据えた指針経営を続けていきたい」と生き生きとした笑顔で語ります。
(取材:大西・山田、文:谷澤、写真:田村)

大阪同友会 会員の声


Profile

企業名:長田会計事務所
所在地:大阪市中央区徳井町
創  業:1970年
年  商:3500万円(2017年12月期)
従業員数:8名(正社員:3名/インターンシップ生:5名)
業務内容:税務相談・税務書類作成、記帳サポート、経営サポート(理念・方針策定支援、単年度・中長期経営計画策定 支援など)、相続対策、事業承継対策アドバイス

第4回 女性部会

会員の声

~ よい会社をめざす『輝く女性経営者』~
女性の感性で、人が輝く

株式会社大国フーズ 代表取締役社長 津田 美津枝(大阪東ブロック・東成・生野支部)

会員の声

~ よい会社をめざす『輝く女性経営者』~
女性の感性で、人が輝く

株式会社大国フーズ 代表取締役社長 津田 美津枝(大阪東ブロック・東成・生野支部)

天王寺駅に程近い大阪市中央卸売市場東部市場に隣接して、(株)大国フーズがあります。朝10時、本日分の配送トラックは既に駐車スペースに1台もなく、屋内の1階には午後の配送に向けた仕分け作業などに忙しい従業員さんたちの姿がありました。保管庫や冷凍庫などを見学したのち、代表取締役社長の津田美津枝氏と、会長で創業者、美津枝氏の夫である津田保弘氏にお話をうかがいました。

大阪同友会 会員の声

ベニヤ板での八百屋から

サラリーマンに嫁いだはずの美津枝氏は、40年前に夫が失業。夫の保弘氏は、知人の紹介で数人の元会社仲間と露店で八百屋をすることになりました。ベニヤ板の上に朝仕入れた野菜を並べて売る。「しばらくの間、次の仕事が決まるまでつなぎ」のつもりが、売れると利益が出ることに嬉しさを感じ、仲間が辞めていくなかでも続けました。
やがて商店街の端に店を構えました。しかし、競争が激しく、売り切って利益を出すためにはどうしたらいいのかをいつも考えているような状態でした。
次に店舗を構えるなら中心となる繁華街でと、大国町に移転しました。ミナミに近いため、クラブのまかないをしている女性たちが買い物に来てくれ、フルーツなどもたくさん買ってくれるようになりました。「持って行こうか」と声をかけ、配達も引き受けることに。商品の配達量は見る間に増えていきました。創業から20年後、1998年10月に法人化し、会社を現在の東部中央卸市場前に移して、外食産業に配送納品をする事業に特化することにしました。

将来への漠然とした不安

その後、高齢者福祉施設などに対しても総合食品業として納品し始め、従業員は増えていきました。しかし、個人事業主の延長で目の前のことに追われる毎日でした。
当時は、専務取締役として、主に経理と人事に関わっており、社員がすぐに辞めたり、配送業務で事故を起こしたりと、労務に関する問題が多く、仕事をしていても楽しくありませんでした。将来への漠然とした不安を感じていたのです。
同友会に入会したのはそのころです。先に入会していた当時の社長である夫から例会には何度か誘われていました。ある女性経営者の報告を聞いた時に、女性でもこんなに生き生きと自ら積極的にやっている人がいると衝撃を受け、入会と同時に女性部会にも入りました。

M&Aや独立によるグループ化

最初は大国フーズだけを経営していましたが、後継ぎがいなくて困っているというキノコ専門卸の会社を10年前に、そしてその翌年には、総菜製造の会社をM&Aで引き受けることになりました。「食」という大きなくくりでは同じだと考えて踏み切ったのです。
美津枝氏は現在、キノコ専門卸の協栄産業(株)の代表取締役でもありますが、実質的には二人の息子に運営を任せています。総菜製造の(株)大つるも引き受けて9年。ようやく今年度に入って、初めての社員旅行を実施できるまでになりました。
「社員から社長に」を目標にし、その第1号として、大国フーズの出発点となった一般消費者向けの小売店舗販売は、現在は(株)とまと家族として独立しました。

社員が仕事に楽しみを感じられるように

大阪同友会 会員の声

工場内や野菜の保管庫にはマイナスイオンの霧が降り注がれています。それは単に野菜のためだけではなく、社内で作業をする従業員の体にもよい影響を及ぼします。24時間体制のシフト勤務で業務にあたる従業員のことを、健康な体が基本と気遣います。
それまでの大国フーズは、市場から商品を集めてお客様のところに持っていくことがメインの仕事であり、社員の楽しみややりがいにどうつなげるかが課題でした。現在は、2年前に新しく設立した(株)ベジリードを中心に、全国の生産者と共に取り組むことをしています。
農家では収穫時期に集中して人手が必要になります。春先は北海道のナガイモ、6月は淡路島のタマネギというように、社員の何名かが全国の生産農家に出向いて収穫作業を手伝います。農家と一緒に作業をすることによってお互いを知ることができ、そうしてはじめて商品を大事にし、商品に思いが入るようになります。収穫に参加した社員からは「こんなに大変だとは思わなかった」「もっと大切に扱わないといけない」といった感想が聞かれるようになっています。
(株)大国ファームという農業生産法人を立ち上げ、自分たちが実際に農業をしてみたことによって農業の大変さを実感しています。これからも農業応援隊として「生産者とお客様との架け橋になれるよう取り組んでいきたい」と考えています。

弱点の克服に向けて

売れる商品を農家に作ってもらうには、土づくりを一緒にやるところから始めないといけないと考えました。おいしい農作物を生み出すには、よい土壌が必須です。土壌に薬草など数種類の有機物を施し、それらが活躍できる環境をつくろうと、自社での肥料開発に取り組んでいます。
6次産業化認定を受け、豊かな土壌から生まれた農作物をもとにした芋焼酎「大国」や黄金とまとジュースといった商品展開をすすめています。

大国グループのビジョン

同友会の先輩からの「新卒採用をしたらどうか」というひと声で新卒採用に取り組みました。新卒採用にあたって、自分たちの会社がどんなことをめざしているのかを説明できるように、10年ビジョンをつくりました。社員に任せることで、自分たちで考える会社づくりをめざしています。それにより、少しずつ会社が変わり「自分たちの会社づくり」を意識するようになりました。経営理念に「食を通じ、人々の健康と幸せに貢献します」とあります。「健康」といっても果たしてどこまでやれているのだろうという気持ちもありましたが、ずっと頭において仕事をしているうちに、だんだんと「健康」という部分に近づいてきているのを実感しています。

同友会での活動を通して

試行錯誤しているときに同友会に入会し、他の会員仲間と活動する中で、企業の役割や、ビジョンを持つ大切さ、企業は人で成り立っていることの意味を知ったという美津枝氏は「私は同友会がなかったら、目の前のことをやっているだけで、事業でこのような広がりを持てなかったと思うし、主人である会長の考えを理解することもできなかったでしょう」と振り返ります。

大阪同友会 会員の声

(株)大国フーズのロゴマークは赤いトマトです。色や味に対してのお客様からの要求が一番多く、トマトの品質には気を配り「思い入れの多い商品です」という美津枝氏。トマトそのものに対してだけでなく、最終的な商品としてお客様に届くまでに介する、人を思いやる気持ち、包み込む優しさが感じられました。
(取材:大山、西野、西岡、音頭、文:北川、写真:田村)


Profile

企業名:株式会社大国フーズ
所在地:大阪市生野区田島
創  業:1978年
資 本 金:2000万円
年  商:20億
社 員 数:約70名
業務内容:病院、外食産業、ケアセンターへの食材の提案・提供

第3回 経営本部

会員の声

~ よい会社をめざす『 高校求人 』~
採用を通じた会社づくりに取り組む

マルイチエクソム株式会社 代表取締役 新谷 幹夫(大阪東ブロック・京阪支部)

会員の声

~ よい会社をめざす『 高校求人 』~
採用を通じた会社づくりに取り組む

マルイチエクソム株式会社 代表取締役 新谷 幹夫(大阪東ブロック・京阪支部)

大阪の東、中央環状線に面した門真市の一角にマルイチエクソム株式会社本社があります。3階建て、細長い工場の周囲には製品が山と積まれ、繁盛の毎日を物語ります。地続きの農地に自社倉庫を建設中で、完成すればラインのゆとりを確保できるとか。操業を続けるための重要課題、人材雇用について新谷さんにうかがいました。

突然に引き継いだ会社を30年守って

マルイチエクソムは1970年、丸一化成工業所として守口にてお父さんが創業された会社で、父母と2、3人のパートさんが働く家内工業でした。親戚も同じような工場を持つものづくり家族で、小さいころから仕事場を見てきたといいます。美大出身の新谷さんは彫刻を専科にしてきて、自分しか作れない物を作る、という作品づくりに夢を持っていましたが、1989年卒業と同時に父の急逝、わずかな借り入れがあり稼業を引き継がざるを得ない状況に陥りました。 「本当はやりたいことがあった。借金返したらすぐ辞めよう、と思っていました」22歳で代表取締役となってから40歳を過ぎるころまで、常にその思いが頭をよぎったそうです。しかしながら1997年には法人組織に改め、丸一化成工業(有)を設立。1999年手狭になった工場を門真市の貸工場へと移転。この時期高校の同級生に誘われ同友会に入会します。例会のあと、居酒屋で割り勘の懇親会が新鮮に感じられ楽しかったといいます。

生産を増やしながら人手の確保に悩む毎日

2006年、自社工場設置とともに社名をマルイチエクソム(株)としました。家電製品が海外生産となっていく中で、ここでは自動車部品のシフトをすすめていきました。得意先の要望でまとまった数量の製品を納めることを求められ、その数に満たない場合には発注取りやめとなる怖さ、仕事がなくなると考え、増産の道を選びました。短期間で巨額の投資、事業所規模を大きくし、プラスチック・ブロー成形事業(※注)として大阪の業界では1、2になりました。工場の人手の確保のため、手当たり次第に雇用しました。「同友会に入会前は外国人の不法就労にもかかわってしまって、入国管理局に注意されたことも…」いつまでもそんな危ないことは駄目だと周囲にたしなめられ、共同求人部に入りました。新卒採用では義務とされる保険関係や就業規則を整備して高校求人に力を入れ、人材の雇用をめざしました。また、正式な外国人研修生の受け入れに取り組みました。しかし高校新卒で採用し5年たってベテランになった社員と、中途採用で年上の新入社員とが衝突して辞めてしまいます。社員がなかなか定着しないという悩みを抱える毎日でした。


※注:ボトルや中空成形品を作るための技術。自動車部品40%、介護用品30%、建設・農業機械部品15%、他家電の部品などを手掛けています。

覚悟を決めた一つの考え方

迷いの中にも20年務めてきたころ、新谷さんが経営者として覚悟を決めた一瞬がありました。あるとき、美大で一緒だった友人に個展を見てくれと誘われ、羨む気持ちで見に行きました。値札は貼っていても売れていない、聞けばアルバイトをしているとか。自分の好きなものを作っていても家族を養えないと考えたとき、自分しか作れないものは何か、自分は製品ではなく会社を作っているのだと考えたのです。会社づくりは一生かけて、完成できるかわからない、そんな仕事をやらせてもらっているのだと熱い気持ちがわいてきました。それから従業員とつながることができるようになった、自分の天職と思い始めてから会社が回り出したと言います。

2008リーマン・ショックのあとの効用

リーマン・ショックでは売り上げが半減、万事休すと思ったそうです。「ずっと同じ規模で会社を続けることができればよかったのに…」新谷さんは事業拡張について、後悔しました。しかしリーマン・ショックのあとの経済には良いことも。セーフティーネットの貸し出しを銀行が推しすすめる、中には新卒採用を継続していることで金利が格安になる商品もあり、ピンチをしのぐことができました。この時はじめて「世の中から必要とされる会社、地域にとってなくてはならない存在」となっている自社を実感しました。あわせて採用環境は一気に有利になり、2009年から大卒求人にも取り組みました。それをきっかけに社名を変更。経営指針成文化セミナーを再び受けて、今の経営理念を作りました。「私たちは一丸となって気持ちの良い会社を作ります」この短い一言は、新谷さんの集大成です。外国人技術実習生にも、卒業したての若い人にもわかりやすく、気持ちの良い会社と集約されています。そこにはものづくりの存在感、すべての人を思いやる連帯感、生きがいのある人生への達成感が読み込まれています。

やらねばならない困難なことを見つけた社員が残る

この4月からの同友会新人社員研修には、マルイチエクソムから2名の高卒新人と1名の大卒新人の3名がものづくりコースで学んでいます。「3名の新入社員に対する新谷さんの教育のコアを教えてください」と質問しました。数秒、静寂のあとに、気持ちを吐き出すように体験が語られました。「最初のころに採用した社員に比べると、最近採用した社員はコミュニケーション能力も高く、ついつい期待しすぎて自ら積極的に関わっていきましたが、そうすると新入社員はわたしの言うことは聞いても先輩の言うことを聞かなくなる。これはまずいと思い、新入社員に直接関わることを控えるようにすると、ここ数年で採用した社員がどんどん辞めていく。最初のころ共に汗流した者だけ残ってくれているが、次の世代は残っていない…懇切丁寧に教えるよりも窮地に立たされ、それを自分がやらなければならないことに気が付いた者が残っているのが当社の現実です」と身につまされる言葉。「結局、自らが体当たりで関わった社員がいつも最後までがんばってくれている。彼らは不器用だが彼らを中心にした年功序列型の組織づくり、彼らが次の社員を教えていく組織風土をつくりあげるしか道はありません」

次世代へと会社をつなげる道のり

「まだ若いんですけど、30年も経営者をやってきて情熱とか集中力が少し衰えてきているのを感じます。事業承継もやらないかんのに…」複雑な心境の新谷さんを見ました。自分は望まざるかたちで事業承継し、納得するまで20年もかかってしまった、社員からも「そろそろ息子さんを…」との声もあります。自分の使命は「息子が継ぎたいと思える会社にすること」だと今は考えています。2013年に同じ門真市内に都市型新工場も設置し、ますます将来に向けて人材の雇用を必要とします。中小企業が新卒採用をするのは容易ではありませんが、新谷さんは門真市のものづくり企業ネットワークにも参画し、会社の将来を担う人材の計画的な雇用と育成に尽力しています。「門真ものづくり企業ネットワーク(同友会会員も参加)人材部会」が開催する高校求人で、門真西高校や守口東高校から希望に燃える若人がマルイチエクソムに入ってきています。人を育てる喜びが必ずやその道のりにある、明るい笑顔がそろう「気持ちの良い会社」が目の前に開けています。(取材:大西、谷澤、文:西岡、写真:田村)

Profile

企業名:マルイチエクソム株式会社
所在地:本社・門真市稗島380
創業:1970年
丸一化成工業所創業
資本金:2148万円
年商:5億5千7百万円(2017年4月期)
社員数:57名
業務内容:プラスチック製品製造業

第2回 中小企業憲章

会員の声

~ よい会社をめざす『 中小企業憲章 』~
地域支部ができて気づいた中小企業憲章の意義

株式会社光製作所 代表取締役社長 井上 吉史(大阪東ブロック・東成・生野支部)

会員の声

~ よい会社をめざす『 高校求人 』~
採用を通じた会社づくりに取り組む

マルイチエクソム株式会社 代表取締役 新谷 幹夫(大阪東ブロック・京阪支部)

住宅が並んでいる街なみの中に、ポツリポツリと工場がある東成区。その工場のひとつが株式会社光製作所です。代表取締役社長の井上さんに地域へのかかわりから中小企業憲章についてうかがいました。

風通しのいい会社にしたい

株式会社光製作所は、1937年に祖父が神社仏閣の灯篭やバス停の標識を製作する職人集団として創業しました。創業以来ずっと精密板金加工の技術を磨き発展してきました。現在は道路照明器具や医療機器用・照明用の筐体などを生産しています。3代目にあたる井上さんは高校卒業後10年間海外留学や現地駐在での仕事をしており、帰国後は、光製作所の取引先で7年間修行をかねて勤めました。当時社長のお父さんの体調、体力の衰えを考え2008年に光製作所に帰ってきました。
2013年に代表取締役に就任しました。取引先企業で7年間企業人として勤めていた井上さんが、入社して感じたことは家族経営と企業経営のギャップでした。これまでは会社の運営や経営状況は身内だけで話しあい、さまざまな情報が社内で共有されていない会社でした。これでは会社の発展はない、もっと風通しのいい会社にしたいと思っていたところ、同友会に出会い入会しました。

会社改革で気づいてきた地域とのかかわり

同友会に入会してすぐに経営指針確立成文化セミナー(当時)に参加し、社内の風通しをよくしようと改善にとりかかり、まず社内会議を開こうと考えた井上さんは社長(当時)より、昼休憩後の15分だけ時間をもらい開催しました。はじめは一方通行の会議でしたが次第に議論がすすみ、時間が足りないとの声が社員さんから上がるようになります。そんな会社改革の取り組みが「東成区住工共存まちづくり懇談会」に参加することにつながります。大阪の東部エリアは東大阪を代表に昔からモノづくり企業の集積地であり、東成区も多くの町工場があります。現在は住宅も増えてきており、住宅地の中に工場がところどころにあるような街です。「東成区住工共存まちづくり懇談会」の会議で、いずれ東大阪のように住工混在が問題になる、それならば企業の方から住民にかかわっていこうとの意見から「わが町工場見てみ隊」の活動が始まりました。

「わが町工場見てみ隊」の活動

住民の方に町工場を知ってもらえれば、住工で問題になる、工場からでる音などにも少しは理解がでてくるのでは?また、工場側も住民への気づかいがでてくるのでは?との思いが飛び交いました。そして地域の小学生が親子でモノづくり企業を見学し、モノづくりを体験し、モノづくりへの熱い思いを生で聞く機会としてできた企画が「わが町工場見てみ隊」です。これには多くの東成区の同友会企業が参加しています。
東成区民センターで行われたモノづくり体験では、金属を加工する楽しさを知ってもらう体験を行ったところ参加した子どもたちから「すごい」との声があがり社員さんたちも非常に喜んでいます。社員さんたちが賛同して参加してくれるのも、経営理念があり、同友会に入会して始めた社内会議があったからだと井上さんは言います。
現在「わが町工場見てみ隊」を7年間で、14回開催しています。

東成区の取り組み

このような取り組みから行政とのかかわりが増え、東成区の企業とのつながりが増えました。昨年麻野東成区長から区政会議に東成区の企業経営者として意見を出してほしいと依頼があり参加しています。麻野区長は同友会の東成・生野支部の活動にもよく参加され、同友会運動にも賛同してくれています。東成区は官民協議体「関西SDGs※プラットフォーム」の設立賛同団体としてSDGsの推進に取り組み、その活動の一環として「ひがしなり企業区民連携フォーラム」が設立されることになり、これもまたそのメンバーになってほしいと依頼がありました。井上さんは「東成区の魅力を発信し、東成区で働きたい、住みたいという人を増やす活動を地元企業が集まってやっていきたい」と要望します。その理由として、東成区は約8万人の人口でおおよそ5000の事業所があります。日中は8万人のうち2万人が他地域へ働きにいき、他地域から2万人が東成区に働きにきている、もし災害があった時には東成区で働いている人や東成区にある企業が協力しあう必要がある、そのためにも東成区で働く人を増やしたいとのことです。
※SDGsとは「SustainableDevelopmentGoals(持続可能な開発目標)」の略称
外務省ホームページ参照http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/about/doukou/page23_000779.html

支部再編があったから地域を意識できた

井上さんが同友会に入ったころは仲間づくりや経営者としての学びを追い求める活動ばかりで地元の東成を意識していませんでした。機構改革がすすむ中で初めて地域を考え、かかわりを持つようになり、経営でも地域を意識した社内改革をすすめています。光製作所の経営ビジョンに「東成区で就職したい先No1」をめざし、地域の人が自慢できる企業になることがあげられています。実現に向け東成区住民手当(月額1万円)や、授業参観や家庭の所用のために2時間単位で取れる有給休暇を作ったりしています。東成区住民手当は、東成区の社員なら朝・昼・晩の三食、家族と食事が可能であり、これが幸せの追求につながること。2時間有給は、働きながら少し抜けて子どもの学校行事や地域行事にも参加できる、との思いではじめました。やりだしたばっかりなのでうまくいくかどうかが、これからの楽しみと井上さんは言います。

中小企業憲章とは

「我々は社会の光となります」光製作所の経営理念です。地域の活動をすることで、社員さんたちの経営理念が深まってきているとのことです。井上さんはじめ社員さんにとって、さまざまな活動の判断基準となっています。中小企業憲章とは中小企業はこんなにがんばっているから認めてくれ、何かをしてくれと訴えることではない、中小企業憲章とは、私たち中小企業が国や国民に対しこんなにいい会社があること、中小企業ができることをアピールすること、中小企業が主体者になることだと井上さんは言います。光製作所にとって経営理念の実践こそが、中小企業憲章運動だと感じた取材でした。私たち同友会の仲間もそれぞれ自社の経営理念を追求することが憲章の運動に通ずるのではないでしょうか?

(取材:大西、西岡、文:山田、写真:田村)



Profile

企業名:株式会社光製作所
所在地:大阪市東成区大今里南4丁目
創  業:1937年
資 本 金:3,000万円
年  商:1億円
社 員 数:11名
業務内容:道路照明器具、医療用機器筐体、産業機器カバー

第1回 社員教育

にぎやかなオフィス街のなかに、川田紙工株式会社があります。
70年間この場所で大阪の移り変わりをずっと見続けてきた歴史ある本社ビルの4階会議室で、社員教育についての話を川田さんにうかがいました。

ちゃんとした会社にしていきたい

「めちゃくちゃな町工場やん」と、川田さんは川田紙工に入社したとき、今まで仕事していた会社との違いに驚いたそうです。入社以前には大手印刷会社で5年間仕事をしていました。そのころの川田紙工は、社内で会議はされていないし、飲み会などのコミュニケーションも何もない、会社組織じゃないと思って驚き戸惑ったそうです。

「ちゃんと仕事ができるような会社にしたい」と、川田さんは勤めてきた大手の会社で経験したような組織の会社にしたいと考えます。入社して営業として実績を残してきた川田さんは、父親が癌で余命宣告されたのを転機に経営者へと進むことになります。そこで、今まで経理から渡されていた給与を自ら社員に直接手渡しで行う、ボーナスに「ありがとうメモ」を入れるなど、これまでとは違うことを行っていきます。まずは自分自身の姿勢を正していくことから社内改革を進めていきました。

人が辞めない会社にするには

「年間にこれだけの履歴書の数の人が辞めるんですよ」と、右手の指で10センチくらいの厚みを作って話してくれました。そのころの川田紙工は人が定着せず、辞めたらハローワークで求人するというような状態だったそうです。

「どうしたら人が辞めない会社になるんだろう」と、川田さんはそればかり考えていたそうです。そんな中、同友会で新卒採用をすれば会社が変わるよとすすめられました。こんな会社に新卒なんて、どうせやっても失敗すると考えていました。しかし、失敗するなら早いうちに挑戦だけでもしてみようかと、新卒採用をはじめます。初年度に2名、翌年2名、3名…と、続いていきます。すると新卒生が入社して社内に新しい空気が生まれ、社内の雰囲気が好転してきました。新卒採用だけの効果ではないのでしょうが失敗するどころか辞めていく人の数もみるみる減っていくのです。採用する際には、部門長面談、筆記試験、適性試験などと3次面接まで時間をかけて会社に合う人を丁寧に探しています。今では採用は新卒しか考えられないというほどにまでなっています。

「新卒採用が増えたら確実に会社は変わりますよ」と、川田さんは力強く語ります。新卒採用をはじめて会社の雰囲気が変わっていく様子を経験したその言葉には説得力がありました。その証拠に、ここ2年で会社を辞めた人の数はゼロだそうです。

社員が喜ぶことを考えている

「私は社員が喜ぶことを常に考えている」と、川田さんは話を続けます。「本当は顧客を一番に考えなくてはいけないのでしょうが、私は社員が喜ぶことを一番に考えています。そう考えることで、結果的には社員が顧客を喜ばせてくれる、だから会社として、顧客を喜ばせることができている」と熱く説明します。「社員が自由に活動を行っています」と、社内の委員会活動についての話もうかがいました。カレンダー作成委員会、広報誌作成委員会、レクリエーション委員会の3委員会が社内にあります。現場ではいいモノを作っているのだから、もっと外にアピールしたいという社員の意見を聞いて、オリジナルカレンダーの作成をはじめたのが委員会活動のきっかけだったそうです。仕事によっては作業する場所が建物の2階と3階というように違って顔を合わすこともなく、社員間のコミュニケーションが取れずにギスギスしてしまう、それを解消するために、そして全社的なコミュニケーションを図るために委員会が生まれることになりました。

「どうしたら人が辞めない会社になるんだろう」と、川田さんはそればかり考えていたそうです。そんな中、同友会で新卒採用をすれば会社が変わるよとすすめられました。こんな会社に新卒なんて、どうせやっても失敗すると考えていました。しかし、失敗するなら早いうちに挑戦だけでもしてみようかと、新卒採用をはじめます。初年度に2名、翌年2名、3名…と、続いていきます。すると新卒生が入社して社内に新しい空気が生まれ、社内の雰囲気が好転してきました。新卒採用だけの効果ではないのでしょうが失敗するどころか辞めていく人の数もみるみる減っていくのです。採用する際には、部門長面談、筆記試験、適性試験などと3次面接まで時間をかけて会社に合う人を丁寧に探しています。今では採用は新卒しか考えられないというほどにまでなっています。

社員は必ずどれかの委員会に所属しないといけないのですが、好きな委員会活動を選ぶことができるそうです。人気のカレンダー作成委員会では、カレンダーの企画制作やイベントでの販売などを行うことで、いっそう社員のモチベーションが向上してきているようです。

「この先が不安ですから、みんな辞めちゃいますよ」と、むかし言っていた社員。今では「辞めませんよ、今、めっちゃ楽しいですから」と、言われるまで社員の気持ちは変わってきていると川田さんが嬉しそうに話してくれました。

1枚の絵

会議室に1枚の大きな樹の描かれた興味深い絵が飾られています。10年前から作り出した経営指針書。その経営指針書の内容が、言葉ではなく可愛いイラストで描かれています。絵にすることで、この先の川田紙工が直感的に入ってきます。しかもその絵には川田紙工のビジョンが、ものすごく楽しそうに描かれているのです。絵を描いたという女子社員に、たまたまお話をうかがうことができたので、少し絵について聞いていました。その時、それをみていた川田さんがすごくやさしく微笑んでいました。この会社の強さを少しですが理解できた気がしました。

ありがとうメモや経営指針書、新入社員研修など、同友会で学んだことを素直に取り入れて実践していくこと。新卒採用や委員会活動など、きっかけはちょっとしたことかもしれませんが、すぐに動く行動力、そしてそれを地道に続けていく継続力。そして何より、社員を思う社長の熱い気持ちが社員教育や社風に大切なことだと感じました。 今度見るときには、あの絵の中の樹が一回り大きくなっているんだろうなあ……。 (取材:大西、大山、西岡、文:藤本、写真:田村)

Profile

企業名:川田紙工株式会社
所在地:大阪市中央区鎗屋町2丁目
創  業:1948年2月
資 本 金:1,000万円
年  商:2億6千万円
社 員 数:25名
業務内容:紙器・紙製品の企画・製造・販売、パッケージ、POP、その他各種印刷物

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