経営指針・10年ビジョン

大阪府中小企業家同友会2022年度の方針は「『ビジョン2020』を実践し、すべての会員が経営指針に基づく自社経営をすすめ、中小企業の力で元気な大阪を創ろう!」です。月刊誌では「ビジョン2020」と経営指針の実践をテーマに企画をすすめています。

vol.7  特集:「 経営指針・10年ビジョンって何?ビジョン2020との関連は?」

完成されつくした産業を「クリエイティブディストラクション」
幸せの循環をめざす企業へ

あの人に聞く

(株)三興ポンプ製作所
代表取締役 原口 浩治
(大阪南東ブロック/上町支部/2012年度入会)

PROFILE
所 在 地:大阪市住吉区遠里小野
URL:https://www.sankopump.co.jp
創業/設立:1957年/1958(昭和33) 年
資本金:2,000万円
年 商:5億6千万円
社 員 数:30名
業務内容:サンドポンプ、噴水ポンプ、水中ポンプ、耐酸高珪素鋳鉄ポンプ(アリロン)、耐酸合金パーライト鋳鉄ポンプ(オレモン)、 及び各種ポンプの製造販売、一切の業務。

 MANAGEMENT PHILOSOPHY 経営理念

~The Cycle of Happiness~「私達は幸せの循環に貢献し続けます

私達三興ポンプ製作所は産業の心臓であるポンプを社会に提供し続けることで関わる全ての人に幸せを送り続けます。お客様の幸せが社員の幸せを呼びやがてそれが社会の幸せへと循環していく。私達はそんな未来を目指します。その為に

~三興の三貢と三幸~

1.社会の循環、継続に貢献し安全という幸せを届け続けます。
2.あたたかい未来に貢献する為にお互いを尊重し共に幸せを送り続けます。
3.当社社員はもちろんの事、関わる全ての人々の幸せに貢献する為に我々は日々学び前進し続けます。

完成された産業

紀元前のギリシャ時代からポンプの原理は発見され利用されていました。それから2000年以上たった現在では、ポンプは進化の限りをつくしています。社会生活、数多くの産業の心臓として活躍するポンプ。そしてポンプと共にポンプ産業も技術発展が飽和した、完成された域にあるといわれています。三興ポンプ製作所では、主に3種類のポンプを製造しています。サンドポンプといわれる、泥水など固形物をも吸い上げる高耐久ポンプ。次に硫酸や硝酸などを吸い上げるケミカルポンプ。ケミカルポンプでは、硫酸溶液に超耐性のある弊社独自の材質「アリロン(高珪素鋳鉄)」を使用しています。そして最後は池などの噴水用のポンプです。噴水用のポンプは池の水を抜くことなく、フロート型のポンプをあとから設置することができる特殊なポンプで、ゴルフ場や長居公園などで使われています。


■ 組み立て途中のサンドポンプ

社長 原口浩治

三興ポンプ製作所は原口さんの祖父が創業された会社です。祖父には原口さんの母親を含めて5人の子どもがいました。5人の兄弟姉妹の長男(叔父)が二代目として会社を継ぎます。その後、二代目社長が別会社を設立し、三興ポンプ製作所は祖父の次男(叔父)が三代目として継いでいました。1999年、大学を卒業したばかりの原口さんは、三興ポンプ製作所に入社する気満々でした。しかし、当時の会長である祖父からは「外の釜の飯を食べてこい」とのことで、原口さんの社会人スタートは京都の不動産会社からはじまることとなりました。しかしその2年後、三代目社長も二代目の社長同様にすでに別会社を設立していたこともあり、会長に結婚報告をしたとき「じゃあ帰ってこい」となったのでした。原口さんが代表取締役社長として入社することになったのです。代表取締役原口浩治、26歳の経営者のいきなりの誕生です。当初は会長のもと、完成しつくされたポンプ産業の中で別会社を吸収合併するなど、もがきながら経営を続けました。会長が他界してからはISO9001を取得したり、就業規則を更新するなど社内を整備し売上を増やしたりと、さらに精力的に会社をすすめていきます。

その理念は納得がいかない

2013年2月1日に誘われて出席した例会をきっかけに大阪同友会に入会することになります。その時、会社ではすでに年間計画などをすすめた経営を行っていましたが、社員の高齢化を同友会の会員に指摘されます。それを受けて翌年の6月に経営指針確立成文化セミナー(現在は経営指針確立・実践セミナー)の理念コースを受講することになります。まだ若い原口さんは苦しみながら、深く考えるよりもその場から逃げたい一心で涙ながらに「理念」をつくりました。原口さん自身、そのような「理念」にもちろん納得はしていませんでした。そんな原口さんは、支部の例会委員長、増強委員長からブロックの経営委員へと役職を歴任していきます。経営委員では自身が苦しみぬいた経営指針確立・実践セミナーでのリーダーや助言者を務めていきました。リーダーや助言者を行っていくうちに経営について、そして理念についての思いも深くなっていきました。


■昔ながらの汎用旋盤

創造的破壊(Creative Destruction)

古くから会社を支えてくれた経理の女性が退職することになり、同友会の仲間に紹介してもらった女性が経理として入社することになります。彼女が新しい風となり、この後会社の風土を変えていくきっかけとなりました。彼女の入社から2年後の2020年、世の中はコロナウイルスのパンデミックで停滞していました。そんな中、社内改革は静かに始まりました。入社6年目の弱冠26歳の工場長が誕生し、彼女は経理総務担当係長に昇進を果たします。「CreativeDestruction(クリエイティブディストラクション)」そう銘打った社内改革会議が原口さんのもと、彼女や若い工場長を含めた管理職7名で始まりました。同友会の経営委員会で、リーダーや助言者として学んだことを社内改革会議に積極的に注入していきます。真っ先に会社の基礎を固めるために、自身の中でくすぶっていた納得ができない「理念」を破棄し「クリエイティブディストラクション」でメンバーと考え抜いて新しい「理念」が誕生します。新しい三興ポンプ製作所が掲げる本物の理念となりました。その理念のもと「クリエイティブディストラクション」で、完成されつくした業界において、新しい風を受けた会社が若返り、進みだしました。


■正面旋盤で加工されるケーシング

■1台1台手作業での組み立て

幸せの循環

株式会社三興ポンプ製作所、サンコー株式会社、榊原不動産株式会社と、原口さんは関連した会社の代表取締役に就任していきます。「この先、自分が三興ポンプ製作所のみにかかわっていくことは難しくなってしまうのではないか」。その思いから、原口さんは自分がいなくても動く会社づくりを模索し始めていました。現在は営業と製造をメインに行っている実弟を軸に、経営を渡していけるように道をつくっています。社内改革会議でも実弟をメインに動きをつくっているところです。完成されつくした業界で、古き良きものを伝え残す反面、新しい社会環境に適応する会社を内外ともに「クリエイティブディストラクション」の指針経営ですすめていく原口さん。三興ポンプ製作所の幸せの循環は、心臓であるポンプのように力強く、そしてあたりまえにこれからも動き続けます。

そして今、その動きは新しい脈をうちはじめました。

※ここでは紙面の都合上ご紹介できなかった原口さんの話がたくさんあります。従弟を採用した話、社員の情報漏えいの話、そして女性の旋盤作業者の話など取材ではまだまだたくさんのネタを提供していただきました。どれもすべて、経営者にとって興味深い話ばかりです。原口さんのように指針経営を同友会で一緒に学んでいきましょう。(取材・文:藤本/写真:佐藤)

人柄が商品(珈琲)と経営指針にあらわれ、企業が進化

あの人に聞く

吉田珈琲本舗
代表 吉田 和敏
(大阪南ブロック/かんくう支部/2015年度入会)

PROFILE
所 在 地:大阪府泉南市岡田 
URL:http://www.yoshida-coffeehonpo.com
創  業:2001年 
年  商:2億円(2021年度)
社 員 数:10名(うちパート4名)
業務内容:ドリップコーヒー製造販売、ドリップコーヒーOEM受注製造、生豆販売など

 経営理念

一、私達は、珈琲を通して鮮度と香りにこだわり人と人を繋ぎやすらぎと愛を届けます。

一、私達は、感謝の気持ちをもって心を込めた商品作りで笑顔になります。

なんとも言えないコーヒーのよい香りに満たされた工場内の奥にある事務所で待っていると、笑顔で入ってきてあいさつをしてくれる吉田さん。取材を始める前から気分が上がってくる要因はコーヒーの香りなのか、吉田さんの笑顔なのか?そんなことを思いながらスタートしました。今月は、かんくう支部吉田珈琲本舗代表の吉田さんから経営ビジョンについて話を聞かせてもらいました。


焙煎したてのコーヒー豆

創業のきっかけ

もともとは、母親が営んでいるかしわ屋で育ち、そこを手伝うかたちで仕事をしていました。バブル崩壊後、店舗を移転し新しい商店街で商売を続けました。しかし、赤字にはならないものの先が見えない。商店街自体もこのままではダメになると感じていました。何か新しい商売を探す日々を過ごしていたある時、ドリップコーヒーバッグの製造をやっている知り合いに「その仕事やらせてもらえないか」と相談したところ、すぐにするのならいいとの回答をもらいました。そして1週間でその時の店を閉め、即断即決でドリップコーヒーバッグの製造を請け負う仕事に切り替えることになりました。「そのころには母親も他界しており、私と嫁との商いだったので二人で話し合い決めることができました。周りの友人や銀行は大反対でしたが『今がチャンス!』と思い、嫁も賛同してくれたので決断することができました」。反対を押し切り2001年9月にドリップコーヒーバッグの製造請負を行うワイズファクトリーという会社を立ち上げました。たまたま運よく、義父の持っている空き物件があり、そこを借りてドリップバッグ充填機を購入し、日々黙々とドリップバッグを製造し、それを箱詰めして出荷する作業を行っていました。


店舗内風景

吉田珈琲本舗として新たな出発

ドリップバッグ製造のOEMは忙しくしていましたが、1社依存であり得意先からの無理な注文や要求を、のまざるを得ない状況が続きました。今でいうパワハラまがいな要求が増えてきており、その会社との関係を断ち切ることにしました。「この時も嫁に相談し『この仕事を断ると路頭に迷うかもしれないけどええんか?』と尋ねたところ『人間らしく生きていこよ、何とかなるよ!』と言ってもらえたので決断できました」。奥様の一言がいつも力になっているようです。しかし、今まではOEMの仕事の受注や仕入などその得意先にほぼ100%を依存する業態でしたので、原料や資材を手に入れることができない状況になってしまいました。いろいろなつてを当たり、ある会社の社長に会うことができ、やっと資材を回してもらうことができました。またそれだけではなく、その会社のドリップバッグのOEMの仕事も回してくれることになりました。今でもその会社とは仕事が続いているそうです。ようやくドリップバッグ製造の仕事ができるようになりましたが、今までも営業をしてきたわけでもなく売るところがありません。販売先獲得のために、まず取り組んだのは屋号を変えること。2012年、自分の名前を入れた「吉田珈琲本舗」に変更し、新しいスタートを切りました。並行してドリップバッグのフィルムデザインを依頼し、吉田珈琲本舗のドリップバッグができました。売り先を探している時に、直売所(産直市場)がブームになってきたので、そこにお願いして商品を置かせてもらえるようになりました。そこからだんだん売れるようになり、他の直売所でも販売できるようになりました。7年前からはふるさと納税の返礼品として出品を始め、現在は泉佐野市と泉南市にだしており、売り上げの70%近くをふるさと納税が占めています。また、そのうちリピーターが40%あるなど、ファンをどんどん増やしています。




温度・時間・色・香り、あらゆる要素から、焙煎度合いを確認

同友会入会のきっかけ

2015年、奥様の友人に誘われ、一緒に例会に参加しその日に同友会に入会しました。このような団体に入会するのは初めてでした。若い経営者たちの勢いに圧倒されしばらくは幽霊会員気味になっていましたが、ある時、先輩会員が支部の地区会(小グループ会)に誘ってくれて徐々に参加するようになりました。その後、かんくう支部現支部長である伊藤さんにNC会(入会3年目までの会員で構成)に誘われ、NC会の幹事長を務めることになりました。一つの長をやることにより経営者として学び続けることの重要性に気づき、現在は指針セミナーの助言者として活動しています。

経営指針確立・実践セミナー受講と経営指針書

同友会入会の同期が3人おり、その方々とそろそろ受講しようかとなり2018年に受講しました。それからも助言者として指針セミナーに参加していましたが、本格的に指針書に基づいた経営をしだしたのは、最近です。今年の南ブロック経営指針確立・実践セミナーで事例報告を兼ねた指針書発表をすることになり、それがきっかけで改めて指針書をまとめ直し発表を行いました。その時も同期の3人が応援に来てくれたとのことです。


物語にした10年ビジョン

自分だけの夢物語の10年ビジョンから変革

4年前に作った10年ビジョンは常に頭の中にあり意識をしていました。来期はそれを全社員と作り直す予定になっています。その手始めに、来年は8月に法人化すること、工場を新築し、社員全員が集まれるような場所を作ること。そして大型の焙煎機を導入して今までキャパオーバーで外注していた焙煎加工を内製化することなど計画が明確になりました。吉田さんの経験は経営指針書を作成することにより、やりたいことが明確になり具体的行動が出てくる好事例だと思います。
(取材:新家、山田/文:山田/写真:佐藤)

【深化の扉】
取材をしてようやく真の課題が見え、会員の人となりを知る。広報部員の冥利に尽きる役得かも。学びを深める扉を開けてみると、自身の課題とも重なっていく。

勢いの背景にあるのは理念とビジョンと経営指針


南ブロック主催の経営指針確立・実践セミナーの助言者として、ほぼ休むことなく参加している吉田さん。なぜ、そこまで熱心に関わっているのか。「どんな場面も人から学ぶことが多いから」と謙虚に語りますが「よい会社」をめざし「よい経営環境」をつくり「よい経営者」になろうと真摯に向き合っているからこそ、その姿勢や発言は間違いなく仲間に伝わり、私たちにいい刺激を与えてくれています。理念やビジョンがあるから戦略をたてて突き進むことができることを身をもって示し、商売人としての遺伝子が同友会の学びでさらに変異と進化を繰り返し、結果を出し続けています。さまざまな要素がブレンドされた経営指針が日々の経営の根幹にあることを改めて教えてもらいました。(情報化・広報部新家)

vol.6  特集:「 経営指針・10年ビジョンって何?ビジョン2020との関連は?」

「美しく生きる」生きがい
つながるコミュニティでそれを実現させる!

あの人に聞く

(株)GLOBAL FLAT 
代表取締役 佐藤 岳登
(中河内ブロック/八尾支部/2016年度入会)

PROFILE
所 在 地:大阪府八尾市久宝寺 
URL:https://globalflat.co.jp
創  業:2009年
設  立:2011年11月
年  商:1億4千万円(2022年9月期)
社 員 数:35名(アルバイト・パート含む)
業務内容:高齢者デイサービス4店舗、住宅型有料老人ホーム経営、カフェ&スナック飲食店経営、学研くつろぎ教室教育事業、訪問介護ヘルパー事業、コワーキングスペース運営、イベント・セミナー研修事業

 MANAGEMENT PHILOSOPHY 経営理念

・夢をかなえ仲間の応援ができ周りに善い影響を与えられる人財の創造
・他者の喜び(幸せ)が自身の喜び(幸せ)と感じられるコミュニティの創造
・公益性を大切にする同志企業と共に共育を実践する未来の創造

ソーシャル事業の多角的展開

「とても心配したんです。なぜって、ウチのサロンでお化粧したご高齢のご婦人が、10分たってもトイレからお戻りにならないのですから…」西郷隆盛と吉田松陰をこよなく愛し、八尾を中心に4店舗、奈良に1店舗を展開する、株式会社GLOBALFLATの代表取締役である佐藤岳登(さとうたけと)さんは、そう述懐します。通所介護(デイサービス)事業、有料老人ホーム事業、イベント(ハッピーライフ)事業、教育・研修事業、カフェ事業と、バラエティーに富んだマルチな経営を、ある時はスマートに、ある時は「武士」のようなたぎる思いを胸にまい進する岳登さんは、2017年3月14日に、大阪府中小企業家同友会に入会しました。その岳登さんは、自らを「半分起業家、半分あとつぎ」と表現します。母上の起業を受け継ぎ2009年5月に「食えたらいいや」として鍼灸院を開業しましたが、なかなかうまくいかないのです。そりゃそうですよね「食えたらいいや」だなんて、そんな気持ちで経営なんて成り立ちませんから!(筆者の持論です)その岳登さんを変えたのは、2011年3月11日14時46分18.1秒に起こった未曾有のカタストロフィー「東日本大震災」への復興ボランティアだったそうです。「何かしなきゃいけない、この世の中の役に立ちたい、僕には一体なにができるんだろう…?」泥だらけの視界、足りない物資、ビルの上の船、空(くう)を見るだけの少女…当時まだ28歳であった岳登青年を「変えてしまう」には、あまりにもインパクトがある出来事でした。


■ Vision Office Bee前景

最高のビジネスパートナーは

そして2011年11月に会社を法人化させ「会社は社会の公器」を実現させるべく、岳登青年は立ち上がります。2016年には2店舗目も開業し、本当の意味での「がむしゃら」のなか、徹夜なんて当たり前、寝たとしても3時間、頭には円形脱毛症…そんな生活をいとわずに続けていくのでした。そんな中、岳登さんご自身が「彼女は、お酒好きの天真爛漫!」と表現される、現在は奥さまであり良きパートナー「仕事のできるバリバリの専務」である彩弓佳(さやか)さんとの出会いが訪れました。「ああ、僕は、この人と結婚するんだ」という電撃的直感を実現させます。理学療法士でもある彩弓佳さんが「パートナー」になったことは、その先のGLOBALFLATに大きな光をもたらします。ご高齢者の方々に寄り添う時、必要なものは「こころ」と「正しい知識」なのですから、それの両方を兼ね備えた彩弓佳さんが「バリバリの専務」になることは当然の成り行きだったのでしょう。


■ 2階は会議や教室に使われています


■ 通所介護Vision Office Bee

破産の危機から「ロマンとそろばん」

同友会に入会直後の2017年4月に「預金ゼロ」という…破産の危機もありました。岳登さんと彩弓佳さんの預金、そしてご両親から借りたお金を入れてもまだ足りない、たまたまそこへ助成金が入りその危機はいったん乗り越えましたが「こんな経営ではいけない!」と思い「ロマンとそろばん」の両方を意識するようになりました。他の勉強会はもとより、同友会でも経営を本気で学んだそうです。その後、2018年には、あの「経営指針セミナー」も受講。最初は講義になじめず、まるで他人事のようにかしこまっていた岳登さんでしたが、第2講での仲間からの熱い思いが、岳登さんを再び変えていきます。僕には熱い思いがある、それに公益資本主義や鍼灸介護、他の学びも山ほどやってきた、本だって3,000冊は読んだ、でも…同友会で、もっと学んでみたい…、そんな気になったそうです。今では「『同友会の使い方』も少しは分かってきた」という岳登さん。「経営や学び、それらやそれ以外の情報を、本部は本当にたくさん用意してくれていることを知りました。入会したての方にはそれに触れられずピンとこないかもしれないけれど…」と、自分の過去を思い出し、少しはにかみながら告白する岳登さんの今日の発展は、他の学びもさることながら、同友会での学びがそれに貢献していることは間違いなさそうです。

思いを伝えるホームページ

「ホームページの作りこみには、二通りあって、一つは『お客さま向け』。もうひとつは『仲間集め』だと思います。だから、GLOBALFLATのホームページは仲間集めを意識しています」と語るうちに「どんなビジョンで、どんな未来をつくりたいか?」というお話になりました。「ご高齢者の方は、ともすれば内にこもりがちなのですが、それは『ご自身の美しさ』に気付かれていないからです。少子高齢化の日本の国にあって、ご高齢の方の経験や知識、見識、愛情、…それにより一体どれだけの若い世代が救われることか」。小さな子どもたちや青年たちと、ご高齢者の方々を「つなげよう」としている岳登さん。そして、この記事の冒頭の岳登さんのセリフは、以下のように続きます。

100年ビジョンを叶えるために


■ 新聞にも取り上げられる

「10分以上経ってから、トイレにご婦人を迎えに行き事情を尋ねると『鏡に映るお化粧した私自身に、見惚れていたの…。ねえ、こんなにステキにしてくださって、ありがとう…!』とおっしゃいました。ご高齢の方でも、ご自身が美しいことを自覚されると『みんなのために役立ちたい』、そんな意識が芽生えられるのです。僕の100年ビジョンは『世界(GLOBAL)が平和(FLAT)で、人々が集い、くつろいでくれる、そんな地域を作る。若い世代には未来への教育が必要なので、高齢者の方々にはそれを担っていただく。地域のみんながつながり、そして【美しく生きる】ことができれば、やがてそれは世界中に伝播して、世界中にありがとうがあふれる』そんなことを考えています。たぶん、道は険しいし、時間もかかるでしょう。でも、同じ志を持つあなたとなら、きっと実現できます。時は今、たった今から、この世の中に役立てることを、なにか意識しませんか。私たちはこの地域と地球とを本当の意味で守ることのできる、最後の世代なのですから」と、岳登さんの思いは膨らんでいくようです。
(取材:西岡、赤坂、山田/文:赤坂・写真:佐藤亮)

ドイツワイン王子の目覚め
醸造家とワインの背景を結びつける

あの人に聞く

ヘレンベルガー・ホーフ(株)
代表取締役 山野 高弘
(大阪北ブロック/三島支部/2019年度入会)

PROFILE
所 在 地:大阪府茨木市蔵垣内
URL:http://www.herrenberger-hof.co.jp
創  業:1982年10月
組織変更:2003年有限会社から株式会社に組織変更
資 本 金:1,000万円
年  商:4億5千万円(2021年度3月期)
社 員 数:14名(2022年9月現在)
業務内容:酒類、飲料品などの輸入販売。主にドイツワイン、オーストラリアワイン、ドイツビールなどの、卸及び小売り販売。

 経営理念

ドイツワインの「背景」「感動」を活き活きと伝え続け「最高の豊かさ」を創造し社会に貢献します

神戸にてドイツワイン販売代理店開業

ヘレンベルガー・ホーフの創業者は千葉敏明氏で、この方のドイツへの大学留学がきっかけで、ドイツワインとのつながりを持つことになったそうです。山野さんの父親である山野寿氏はその開業当初からのお客様でした。そのまま寿氏のワインに対する興味が高じ、1989年に入社。創業10年ほど経た1991年に山野寿氏が2代目を承継しました。社名の由来は、出資者の一人であったドイツの醸造所の会長さんの自宅(写真)の名前です。ヘレン(紳士)ベルガー(山)ホーフ(家・館)、ドイツモーゼル地方のブドウ畑である山の名前、ヘレンベルクのそばの館からとられています。1995年1月の阪神淡路大震災で事務所は半壊。ほとんどのワインボトルが壊れたなか、助かったボロボロのボトルを茨木の自宅へ運び込み、そこで洗い、ラベルを貼り替え販売を続けることとなりました。そのとき現代表である山野高弘氏は大学4回生、家族はみんな手伝いましたが自分は手伝わなかったこと、父に「お前はアカン」と言われたことなどを脳裏に浮かべ語ります。



ブランド品販売の修業時代

大学卒業後の5年間、関西、北陸方面にシェアを持つ大型スーパーマーケットに就職。富山店で店頭販売を学びました。販売が得意で、ロレックスの時計やブランドバックなどを取り扱い、成績は順調で楽しく仕事をしていたと言います。家には居つかない、父とも語らない、そんな自分に人情味を教えてくれたのはパートの年配女性たちで、可愛がられ世間や人間を知った、家族って大事だなと思った時、からだに電撃が走ったような感覚だったそうです。

父のドイツ留学に触発され自身もドイツへ

父の会社に後継ぎがいない、高弘氏は自分のルーツを知り会社を手伝うと決めました。「帰ってくるとは夢にも思わなかった…と鳩が豆鉄砲を食らったみたいでしたよ」。2000年高弘氏が入社し、その交代で55歳になっている父がドイツへ長期滞在、社長職をなげうって1年間留学することになります。当時ドイツワインは甘口が主流でした。しかし山野寿氏は、新世代の醸造所が取り組む辛口の白ワインに着目。また最南端バーデン地方の赤ワインにも着目し、今では世界的に有名な生産者、赤ワインに注力するベルンハルト・フーバー醸造所で研修し、醸造家との深い信頼関係を築き上げていきます。父が帰って来た時、高弘氏は「今度は自分が3年間行かせてほしい」と懇願しました。


醸造所との交流の歩み

血のにじむような努力をした3年間

「思えばあれほど勉強したことはない」とそのころをほうふつとさせるように振り返ります。父親の顔でフーバー醸造所に入れてもらいワインを学ぼうとしますが2年間は仕事をしながら言葉の勉強に明け暮れます。朝6時からブドウ畑に出て、草刈りや掃除、ブドウの手入れに倉庫の整理が午後5時まで続きます。昼食は出るが夕食は無し、午後6時から9時までの現地の語学学校に行き、帰りに一杯のビール。膨大な単語をただひたすら覚える毎日。表情とジェスチャー、単語をしゃべってほんの少しでも理解されたら感動したそうです。ワインの勉強はそれからでした。3年目、父が滞在していたところとは別のところで働きたいとラインガウ地方のブロイヤー醸造所に直接交渉。「日本の若者が誰よりも早く正確に働く、残業もいとわず…。なんで日本人ってそんなに働くのか」と評価され、上の醸造チームに入れてもらった時は「君が作業長だ」と言われました。温度管理と蔵の掃除を担当。先輩が出来栄えを見張ります。親方からはワインの造り方だけでなく、ひっきりなしに訪れるお客様へのワインの伝え方、ホテルの食事会での立ち居振る舞いなどを教えてもらいました。この時に「新しい環境に飛び込むこと」が自身の成長につながるということを深く認識しました。


倉庫のラベルの横には醸造所からの写真

ブドウの特徴とその背景を伝える

ドイツワインの信頼を得るための父の販売戦略は、顧客と生産者との密接なつながり、友好関係を築くことでした。年一度のドイツ生産者巡りツアーを開催し、生産者来日イベントも行ってきました。茨木のワイン蔵では「ハウスメッセ」と名付けるワイン試飲会を年2回開催。一般客や業界関係者を招待し、飲食店の出店やワインセミナーの開催もしました。一方、2003年秋、ドイツから帰国の高弘氏は全国展開の営業で酒屋、酒問屋、飲食店と飛び回りました。「個性と根性で売り上げたいと思ったけれど、最初は大阪でも鳴かず飛ばず。ブランド品の販売は得意だったはずなのに…。東京の百貨店へ売り込み、ようやく置いてくれることになったのが2004年4月、それからは他の百貨店も次々と」。そのころ3代目社長には番頭格の岡本氏が就任しています。その後2015年、山野高弘氏が4代目代表取締役に就任しました。


新聞にも取り上げられる

東京で知った同友会

営業していた東京で同友会会員と知りあい、15年後に大阪同友会を勧められ入会しました。経営指針セミナーを早速受講し、その後続けて助言者として参加しています。「会社は何のためにあるのか」と聞かれた時、会長である父に意見を聞こうと電話をしました。「社会に貢献するためや」。返ってきた答えに高弘氏も納得し、文言に入れることに。お客様に感謝の気持ちを表すため、経営理念を39文字で作りました。「サンキュウ」です。発表の時、古参の社員から拍手が出ました。指針セミナーを受けて、父の意向もきちんと入れて経営理念を作ることができたことが良かったそうです。その父とも昨年末お別れすることになりました。亡くなる直前、社員旅行で大ゲンカしたことを回想します。ライバルのようにぶつかってきた父と最後は急な別れとなり、それが心に残ります。

SNS販売戦略を学んだ強みを全大阪で

コロナ禍で、販売戦略も変えざるを得なくなったころ、いち早くSNSを利用しました。これまで精通していたわけではないそうですが、東京までノウハウを学びに行って急な進展でドイツワインを紹介しています。生産者の顔が見える、ブドウが生まれた土地を知る、ワインになった背景を知る、そうした情報をホームページはじめ、YouTube動画にあげ、SNSでは素早い情報提供をしています。自称「ドイツワイン王子」。なんだか面白そうなキャッチコピーにひかれて立ち上げてみると、ドイツの生産者と日本人愛飲者とのWEBコミュニティー、ワインのことは何でも聞ける場ができています。11月17日の全大阪経営研究集会では時代の波に乗る経営者として新たなビジョンを伝えてくれることでしょう。
(取材:赤井、香川、西岡/文:西岡・写真:赤井)

【深化の扉】
取材をしてようやく真の課題が見え、会員の人となりを知る。広報部員の冥利に尽きる役得かも。 学びを深める扉を開けてみると、自身の課題とも重なっていく。

異業種交流の良さを発揮する


最近の大阪同友会会員の事業領域をみると、少し前より随分変わってきています。月刊誌の取材候補を挙げる時にも感じることです。製造業が少なくなり、サービス業や士業が多くなりつつあります。やはりIT関係はこの10年で大きなシェアを占めるようになりました。情報化・広報部として各事業種の構成割合を調べ、何が会運営の進展につながるのか、どうすれば異業種交流会としての豊富な知識を共有できるのかを考えてみたいと思います。東西南北、地域的な産業の偏りがあり、どうしても同じような業種の交流が重なる場合には、異なるブロックとの合同例会の開催や、支部ブロックを越えて例会に参加するなどシャッフルして試してみるのもよいと思います。コロナ禍で習い覚えたリモート会議が得意になりました。距離を感じず、時間の節約もできます。きっとコロナ禍が収束しても、この便利な方法は無くならず、もっと発展していくと思います。新しい分野、珍しい業界にビジネスヒントあり、これこそ異業種交流の醍醐味であると言えますよ。(情報化・広報部西岡)

vol.5  特集:「 経営指針・10年ビジョンって何?ビジョン2020との関連は?」

ビジョン実現に向け、 会社を発展・成長

あの人に聞く

(株)今井広告研究所 取締役
今井 亮
(大阪東ブロック/京阪支部/2019年度入会)

PROFILE
所 在 地:大阪市城東区関目
URL:https://imai-next.com
設  立:1958年10月
年  商: 5,000万円(2021年) 
社 員 数: 9名
業務内容:
DTP事業部 / グラフィックデザイン・印刷物全般
WEB事業部 / HP制作・動画制作・システム開発
ワイデクル事業部 / 情報管理の商品開発・販売〈(株)山田製作所共同事業〉
スタジオサンカクルーフ / 撮影レンタルスタジオ運営
メイキットキッズ / 子ども向けイベント用商品の制作・販売

 経営理念

私たちは広告メディアを通じて世界の人々を結ぶ懸け橋となりお客様と共に発展・成長します。

ナイキから今井広告研究所へ

今井広告研究所に入るまではナイキジャパンで直営店のストアマネージャーをしていた今井さんは、店舗の運営管理とともにブランド理念やビジョンをスタッフに伝えることをミッションとし有意義に働いていました。今井広告研究所は義叔母が社長をし、妻(社長のめい)がそこで働いていました。2018年の初め、今井広告研究所に退職者が出ること、また社長が一人で切り盛りしていて経営的に大変なことを妻から聞きました。それなら自分がなんとかしたいとの思いが芽生えた今井さん。当時は富山県に単身赴任しており「家族」と一緒に過ごす大切さを考えていることも重なったので、社長に相談をして今井広告研究所に入社することになりました。ナイキのマネージャーをしていたこともあり、そのスキルを活かせば今井広告研究所をもっと発展させられると自信満々でした。

自分の思いとのギャップ

現在の今井広告研究所の構成は、4代目の代表取締役社長今井知子さん(しろきた支部・本部情報化・広報部)、取締役の今井亮さん、30年間今井広告研究所を支えている超ベテランデザイナーの3名が取締役で、6名の社員、合計9名の会社です。社員のうち3名が在宅で働いています。会社の経営は社長の肌感覚で決済を行うスタイルで、いい意味で家族的な経営です。勤めていたナイキではすべてがシステマチックで、そのような経営をしていきたいと思っていた今井亮さんとの思いとは真逆のような感じでした。入社したての今井さんのミッションは営業でした。どんどんと攻めるように営業をしていきますが、印刷のことやWEBの知識がなく、案件を持ち帰っては社員に教えてもらい日々勉強を重ねつつ月日が流れていきました。ある程度の業界的知識を理解するまでに2年以上はかかったそうです。この業界の技術進歩は早く、今も常に追いかけて勉強をしているとのことです。営業マンとして日々東奔西走していましたが、2年ほど前から、ようやく取締役として経営に目が向くようになりました。そのきっかけが経営指針確立・実践セミナーでした。

経営指針確立・実践セミナー受講

今井広告研究所の同友会歴は長く、2代目社長時代の専務取締役が同友会に所属していました。現社長の今井知子さんも同友会青年部の出身で、現在はしろきた支部で活躍しています。その関係で今井亮さんも2019年4月に同友会に入会しました。現社長の青年部時代の仲間であり、顧客でもある会員から「亮(あきら)君もそろそろ指針セミナー受けなあかんで」と言われ受講しました。指針セミナーは数字や経営のスキルを学ぶ場と思っていたのですが、同友会の指針セミナーはまったく違い、経営者としての覚悟、理念・ビジョンの重要性、方針、数値計画、行動計画を学ぶ場でした。これは前職のナイキで言っていたことに近いような気がしました。しかし、そんなに甘くはなくビジョンが描けない。そんな状態なので、方針計画も作りはしたもののすっきりしない状態での卒業になりました。

ビジョンが少しずつ見えてきた

いまひとつ納得のいかない指針セミナー卒業だったので、現在も東ブロックの経営委員会に入り、助言者として現在も指針セミナーに参加しています。助言者としての運営は行いつつも、どちらかといえば受講者目線で自社の指針を考える場としています。結果を出している経営者たちに揉まれていくうちに自分なりのビジョンが見えてきました。それはシンプルに年商を今の5倍にすることでした。指針セミナーで言う10年ビジョンとは少し違いますが、実現に向けた方針が決まりはじめ、社内からは行動計画が自然発生するようになってきました。この動きを指針書として成文化することが自分の役割だと考えています。これを続けていくと10年ビジョンが明確にイメージできるのではないかと感じているそうです。

具体的行動の一つ「UV転写」

UV転写に関しては以前から導入していましたが、なかなか実績が上がらない状態でした。そこで、いろいろなものに転写したサンプル画像をサイトに掲載するなどの方法でPR。徐々に知名度が上がり、反響が得られるようになってきました。この事業を一つの柱として育てていくために、展示会への出展も積極的に行っています。昨年まではワイデクル事業部として共同事業社の(株)山田製作所と共同出展していましたが、今年からはUV印刷転写加工で単独出展にチャレンジしています。7月の九州で出展した際には、数件の案件を受注し手応えを感じています。どこにでも印刷転写ができるUV転写と、今井広告研究所のデザイン力を合わせた技術を事業の柱として今後も伸ばしていけると確信しています。

2012年障全交のスローガンに共鳴

話は10年前にさかのぼります。同友会を知ったのは2012年「障害者問題全国交流会in大阪」にゲスト参加したのがきっかけでした。そのころは起業より6年がたち、利用者さんは順調に増えていましたが、スタッフが増え続け運転資金にも困り果てた状態で、自分に限界を感じていたそうです。熱心な誘いを受け参加してみました。そのときのスローガンが「障害者と健常者が共に生き、働ける社会づくりへ」です。身体中を電気が通り抜けるような衝撃を受け、心の底から共鳴しました。経営者の会でこんなことを取り上げていることにも感動し、すぐに入会を決意しました。東大阪東支部(現在東大阪第二支部)は製造業が多く、女性経営者はほとんどいない支部で会話が進まないと思ったとき、これまでいかに狭い社会にいたのか愕然とし、自分が企業家と話ができないでどうする、それでは製造業を勉強してみようと思ったそうです。


■ ヘルメットのような立体物に印刷が可能

家族的経営から企業へ

このように現在自分の思い通りに動けるのは、これまで現社長が作り上げてきた自由な会社の風土があるからこそだと思っています。しかし、今井広告研究所は家族的会社から企業への転換期であり、これを変えていくのは自分の役目だと今井さんは感じています。企業への転換に向け、新卒の採用、それに伴う就業規則の再整備など、やるべきことは山のようにあります。これまで築き上げてきた今井広告研究所らしさを活かしながら、家族的な経営から企業へと変化していく、今後が楽しみな会社です。
(取材:情報化・広報部山田文:山田)

2030年みんながもっと笑う会社をめざして

あの人に聞く

福井精機工業(株) 代表取締役
清水 一蔵
(大阪中央ブロック/臨港支部/2016年度入会)

PROFILE
所 在 地:大阪市大正区鶴町
URL:http://www.fukuiseikikogyo.co.jp
創業/設立:1964年4月/1985年2月
資本金:1,000万円
年 商:4億3,000万円(2021年度)
社 員 数: 35名
業務内容:射出成形金型の開発・提案 (試作型 / 簡易型 / 量産型)/小ロット生産/CiBs(固形潤滑剤)の開発・生産

会社の沿革

福井精機工業株式会社は、プラスチック製品用の精密金型製造をメインにしています。先代が大正区三軒家にて山下工作所として創業、1985年に福井精機工業株式会社として設立し、2003年に現在の場所に移転しました。清水さんは大学卒業後、京都の金型メーカーに就職し、その後広告業界に入るなど、紆余曲折ののちに2013年に先代からの誘いで同社に入社、2018年に事業を承継して代表取締役に就任しました。

業務について

同社は、世の中のあらゆる製品の回転部に使用される部品であるベアリングの樹脂リテーナー用金型、自動車のトルクセンサーやオイルポンプなどの機構部品用の金型の製造をしています。先代の時から大手自動車部品製造会社ともつながりがあり、さらに技術力を認められ感謝状をいただいたり、公式サプライヤーとして認められたりするなど、長年培ってきた技術力を強みに業績を伸ばしてきました。清水さんが入社してから5年間で機械の投資や人員の採用にも積極的に取り組み、また顧客先に仕事が増えたことでさらに売上は倍増。利益も順調に上がりました。しかし、2020年のコロナ禍で売上は約35%ダウン、社員も少し減りました。足元はまだ不安定ですが、来年にかけて明るい兆しが見えてきました。

開発メーカーとしての発展

2010年からの10年間で世界が大きく変わり、ビジネスモデルも変わってきました。この先10年後にはさらに大きな変化が起きるのではないか、そして同社の業界でも例外なく「価値の変化」が起こると思われます。今までは設備投資と職人技で「製造する/できる」ところに価値がありました。しかし、デジタルの進歩とともに工作機械や品質保証に関する考え方など大きく変化しています。今まで通り「製造する」だけではこれからは生き残ることはできない。金型メーカーとして元々持っていた技術力に加え、営業・企画・解析・設計力も含めたトータル管理力を武器に、素早く製品を実現するところが重要であり、そこに価値があると清水さんは考えています。時代の変化に沿った自社の変化を考え、そのためのノウハウを蓄積することに力を入れています。

時代の変化にマッチした事業を

CiBs(キッブス)という「油が染み出すプラスチック」を開発しました。UHMWPEという特殊な樹脂(プラスチック)に油を混ぜ込み固めた成形品は50%が油分でできています。昨今は感染症の拡大や人件費高騰、またAI・ロボットの進化で、産業の自動化や省人化への関心がとても高いです。自動化は進む一方、機械は物理的に擦れるところや可動するところには必ず摩擦が起き、そこには給脂やグリスアップなどのメンテナンスが必要です。一部では人が行うなど完全な自動化にはなりません。しかし、50%が油分でできたCiBs(キッブス)を部品として組み込むと、自動的に油が染み出すのでメンテナンスに変化が起こります。製品化してまだ2年なので認知度としては低いですが、5年間ノーメンテナンスで動くロボット内部の潤滑用ギアとして大手ロボットメーカーに量産採用されています。さまざまな試作を続け、今後は宇宙開発事業などにもアピールしたいと考えており、宇宙関係の展示会にも出展予定とのことです。

人とのコミュニケーションが最重要

清水さんは自社のビジョンを叶えるために、人とのコミュニケーションが一番大切だと考えています。社員さんは職人気質の人間が多く、どちらかといえば話をするのは苦手なタイプが多いそうです。そんな社員さんたちとコミュニケーションを取るきっかけとして、社内報を作ったり、グループワークを開催したり、バーベキューや忘年会などの交流会も開催しています。こういった業務ではない部分を重要視しています。

未来の見える化

カリスマ性を持って経営をしてきた先代からバトンタッチした時に「社員たちは不安を抱えているのではないか?」と考え、福井精機工業のめざす未来を成文化し社員たちに示しました。そして、2020年に新たに「Mission、Vision、Value」を掲げ「人を模した『i』に福が来るように、人にささえられ皆が笑顔になるように」という思いを込めてロゴを作り変えました。同時に、同じ会社の仲間である全社員に名刺を作りました。名刺を使う機会のない社員さんは名札代わりとして使用しているそうです。

 Mission

私たちは新しい「価値」を追求し、すべての人に「笑顔」を提供します。

 Vision

最高の製品を生み出すために、最高に頼られる存在であること。

 Mission

私たちの熱意と誠意は、お客様からの信頼へつながる。

2030年にかける思い

最後に清水さんはこう語ってくれました。「人として一番の幸せは[笑う]ことだと思っています。そこが自社の一番の目的です。人生最後の時に『いい人生だった、笑顔で大切な家族と幸せに一緒に過ごすことができた』と思えることが一番の幸せだと思っています。そして、その目的を叶えるために会社としてしっかりと利益を出し続けることを[目標]にしています。そして、戦略・作戦・個々の戦術を考え、具体的な内容で実行していく。みんながもっと充実して仕事ができるようにさまざまな取り組みを行っています」「まだまだ足りないところはありますが、とにかく僕はみんなに笑ってもらいたい。そんな会社を作りたい」と話す清水さんの笑顔が印象的でした。人とのコミュニケーションが最重要未来の見える化2030年にかける思い(取材:大西・北川・谷澤文・写真:谷澤)

【深化の扉】
取材をしてようやく真の課題が見え、会員の人となりを知る。広報部員の冥利に尽きる役得かも。 学びを深める扉を開けてみると、自身の課題とも重なっていく。

経営指針の実践で本気でめざしたいビジョンが見えてくる


経営指針確立・実践セミナーを終え10年ビジョンを掲げている企業はたくさんあると思います。しかし、ビジョンに向け大きく進んでいく、実現させている企業と、目の前の課題に追われ「こうなればいいな」というビジョンになっている企業があるのも事実です。これは、10年ビジョン実現にむけて経営実践をするかどうかで変わってくるのではと思います。実践し、うまくいかない、また大きな課題が表れる。それの繰り返しで本当にめざすべきビジョンが見えてくるのではないかと思います。それを社内全体に対して明確に「見える化」することが大切だと改めて感じられた9月号でした。本気でめざしたい10年ビジョンを見つけるために、もう一度ビジョン2020を読み返し自社の10年ビジョンを考えてみてはどうでしょうか?(情報化・広報部山田)

vol.4  特集:「 経営指針・10年ビジョンって何?ビジョン2020との関連は?」

発達障害の方々と地域がつながりあうそんな社会に生きていきたい

あの人に聞く

NPO法人発達障害サポートセンターピュア 理事長
檜尾 めぐみ
(中河内ブロック/東大阪第二支部/2012年度入会)

PROFILE
所 在 地:大阪府東大阪市御厨南2丁目
URL:https://pure-higashiosaka.com
設  立:2006年6月 東大阪発達障害支援の会ピュアとして法人格を取得
社名変更:2011年12月 特定非営利活動法人 発達障害サポートセンターピュアに変更
年  商: 1億9,300万円(2021年3月期)
社 員 数: 42名(正社員16名 非常勤26名)
業務内容:発達障害に特化したサポートセンターとして、乳幼児期から学齢期、成人期にわたり寄り添い、自立に必要なスキル学習、就労支援および生活支援事業を業務とします。

施設のご案内

梅雨明けの午後、東大阪御厨に檜尾さんを訪問しました。白壁がまぶしいばかりの4階建てのビルの正面玄関には幾種類もの植栽が施され、緑の中に集うカフェテラスのような雰囲気です。法人設立のころから多様に拡大してきた支援事業を1カ所に集中して営める場所がほしいと思ってきた、その夢がかなって竣工したのは2018年9月です。1階には児童発達支援、放課後デイサービス、東大阪発達障害相談支援センター、メインダイニングルーム、事務室などが設置されています。2階は就労継続支援B型の業務。3階は生活介護、4階はショートステイ、ダイニングサンになっています。乳幼児から成人まで途切れることのないサポートをめざした施設がここに誕生しました。

ひたすら事業計画をすすめてきた日々

起業時は事業所をマンションの1室から始めて、利用者さんのニーズに応えるよう業務内容を増やしてきました。十分な支援活動をするために、広く全体の動きが見える施設がどうしても必要になったなど、現在の施設建設の理由を話してくれました。ただ優しく安全に支援するだけでなく専門の知識を持ってスキルアップにつなげたいと考えてきました。檜尾さんの長男が自閉症という障害をもって生まれてきたことで、壮絶な子育てを経験したと言います。今28歳ですが、成長当時自閉症に関する情報は皆無でした。母として自ら勉強していくことを始めました。同じ悩みを持った親の会を作り、それは最初3人から100人を超えたこともありました。みんな地域から孤立していたことから「安心して自閉症の子どもたちを遊ばせる居場所を作ろう!」と提案し、東大阪市の障害福祉課に相談。2006年より法律の改正でNPO法人でも障害福祉サービス業の認可が下りることとなり、6月に法人格を取得。続いて8月業務の認可が下り、東大阪発達障害支援の会ピュアの活動がスタートしました。


■ Welcomeボードの前にて

研修と資格に基づく支援と東大阪市の福祉行政

自閉症の支援技術を持つ専門医を探すことが難しい状況において、檜尾さんは自ら勉強して自閉症スペクトラム支援士の資格を取りました。この学問はアメリカのデラウェア州とノースカロライナ州で生まれたそうで、あるとき思い立ち施設に見学に行きました。その後は日本自閉症スペクトラム学会において、自閉症をテーマとして身近に感じた要望される支援を学会で発表してきました。そして特筆すべきは東大阪市の行政とスクラムを組んだことです。相談支援専門員となり発達障害児(者)支援システム構築プロジェクトのモデルケースとなって10年余り、市の福祉行政と福祉計画になくてはならない存在になっていきました。

地域とのつながりを築くための苦悩の連続

法人設立10年目に新施設計画を立案し、直ちに行動に移したものの、まず土地の確保に苦労しました。総建築費の予算は3億円。土地までは買えないので定期借地権50年の設定で地主さんとの交渉に入ります。施設を建設するにあたって近隣の住民や商業施設に対して了解を求める時には、思いがけない抵抗にあいました。反対意見、強烈なバッシング「障害者は来ないでくれ、土地の値段が下がる」などです。経営指針書の開示やビジョンを語り、一人ひとり丁寧に説明していきました。最終的にその場を取り持ってくれたのは自治会長さんです。「この土地がお役に立つのなら」と地主さんの応援の言葉も聞かれるようになりました。2021年度の利用者実績は総利用者が130人。学齢期の児童が80人、18歳以上の成人期の方が50人です。相談件数は日々増えていき、2カ月お待ちいただいている方もいるそうです。


■ 北川

夢へ向けての資金調達

「主婦からの起業で、若いときはただ事務員でキャリアを持ったこともない、そんな私が3億円の契約に押印することを考えると手が震えて夜眠れなかった…」と檜尾さん。そこに大きな救いの手が差し伸べられます。何か公的資金を受けられるのではないかとの助言で東大阪市に相談し、長い間の行政との活動実績が実を結びました。これだけの収容人数の施設であり、東大阪市の福祉計画に合致すること、専門の知識、資格を持ったスタッフによる運営と、自閉症スペクトラムの支援技術分野で著名な医師の協力を得られるなどの条件がそろい、国庫補助金1億6千万円の取り付けが決定しました。残り多額の借金を返済する覚悟を担うのは、同友会経営指針成文化セミナー(受講当時の名称)において真っすぐに、その指導の通り、スタッフとともに作った経営指針書でした。

2012年障全交のスローガンに共鳴

話は10年前にさかのぼります。同友会を知ったのは2012年「障害者問題全国交流会in大阪」にゲスト参加したのがきっかけでした。そのころは起業より6年がたち、利用者さんは順調に増えていましたが、スタッフが増え続け運転資金にも困り果てた状態で、自分に限界を感じていたそうです。熱心な誘いを受け参加してみました。そのときのスローガンが「障害者と健常者が共に生き、働ける社会づくりへ」です。身体中を電気が通り抜けるような衝撃を受け、心の底から共鳴しました。経営者の会でこんなことを取り上げていることにも感動し、すぐに入会を決意しました。東大阪東支部(現在東大阪第二支部)は製造業が多く、女性経営者はほとんどいない支部で会話が進まないと思ったとき、これまでいかに狭い社会にいたのか愕然とし、自分が企業家と話ができないでどうする、それでは製造業を勉強してみようと思ったそうです。


■ 音頭

イラストにかいた夢の実現の真っ只中

ぜひ皆様にこの法人のホームページを開いて見てほしいと思います。そこでは子どもたちがいきいきと学ぶ姿、支援するスタッフの喜びや、支援技術の専門的な詳細が伝えられています。幼児期から成年期まで切れ目なく一人ひとりに合わせたプログラムが提供されています。ほぼ完成に近いと思われるこうしたシステムは、誰が考え実現してきたのかを問いました。スタッフの思いもよらない提案、自己実現として夢に描いてきた具体的な将来像を、1枚のイラストにしてみんなで共有しました。ライフステージとなる新施設の周りに学校、農園レストラン、グルーブホーム、クリニックが描かれています。檜尾さんはスタッフと共に考え歩むこと、自分自身の仕事はスタッフの夢を実現することだとみんなに伝えました。しかしその結果、温度差を感じた退職者を出すことにも…。

次のステージへ羽ばたいて

新型コロナウイルスが広がった2020年、2021年度も夢の実現への歩みは止まりません。全員で知恵を出し合い解決策を図り、予算と実績の進捗を確認しました。壮大な計画を着実にすすめ10年ビジョンに描かれた事業所が2022年8月1日奈良県明日香村に誕生しました。石舞台、山の辺の道で有名な明日香村、村まるごと博物館とも言える歴史的風致地区明日香村でなくてはならなかったのはなぜかを熱い思いで語ります。日本の原風景の中にこの事業所があること、それはただの田舎ではなくブランド化された所で、星野リゾートもやってくるらしいこと。就労継続支援B型と生活介護の施設とし、農業を中心とした作業を行います。高齢化する農家の課題を障害者が解決。農業を第一次産業から第六次産業に変えること。そして給付費に頼らない収益を確保したいという計画です。ここでの土地の確保はさらに難しく、地主さんの先祖代々所有しているという誇りは高く、手放すことにちゅうちょされましたが、建築を依頼した地元に三代続く工務店さんが尽力してくれました。壮大な構想は銀行から社会課題解決の取り組みと事業性評価の高さが認められ、1億円の投資計画は融資契約に結び付きました。夢を現実に置き換えていく檜尾さんの強さは、純粋に感動したことや学んだことを追いかけていく歩みにあるのでしょうか。(取材:情報化・広報部音頭、北川、文・写真:西岡)

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